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〜戦時下、父子の往復書簡〜
about.
概要
父、母上の写真がもしあったらお送りください。
朝夕の礼拝にするはずです。
今頃どこで奮闘せられておるか、
君幸いに、健康に健康に。
暇ができたらお便りを。
昭和14年(1939年)の暮れに入隊し、一度も故郷に帰ることなく転戦の末行き着いた、悲劇の島ガダルカナルにてわずか23年の生涯を終えた「文次」と、文次の帰りを待ち続けた父、「政次」の手紙の一節です。
文次は、二十歳で陸軍に入隊し、南支(中国南部)派遣直後から父母、歳の近い妹、そして幼い妹弟へ宛て何通も手紙や絵葉書をよこしました。
当時、桶屋を営んでいた政次は、仕事で使う複写紙に手紙を書き、控えを手元に残していました。
同時に、日記にはラジオや新聞で得た戦況や銃後の生活を記していました。文次からの手紙が到着した日はひときわ大きな文字で「文次より通信あり」と書き殴って大いに喜び、庭の梅の木が折れた夢をみた朝は文次の身を案じました。
遠く離れた家族を思う文面。手紙の検閲通過を前提とした力強くももどかしい表現に、故郷が恋しい二十歳そこらの青年がペンを走らせる横顔、御国のためと鼓舞激励しながらも息子の生還を信じて手紙を書き続ける父の背中を痛いほど想像することができます。
現代にまで残された70通にもおよぶ父子の手紙は、特に戦地に出した手紙が残っていることが、大変貴重な資料となっています。
手紙や関連する資料を、企画展や朗読などで紹介しています。
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